2014年7月26日土曜日

手抜き夕食に落とし穴

どうでもいいことなんだけど、前回書いたブログの冒頭
シナモンハニー味のアーモンド
実は、ほんとうはこっちの写真の
Honey Roasted(←ちょっとムリして英語で書いてみた)が欲しくて、でもなかったので仕方なく選んだものでした。

こっちの方がおいしい、好き。

横のプリングルス。1ドル49セント(←記憶が正しければ)でした。
日本で買うよりかなり安いよね?(←記憶が正しければ)

今日の夕食は最高に手抜きでした。
自慢しちゃいけないよね、そんなこと。

このFish Sticks
オーブンで焼くだけの冷凍食品
このスープ。
ほんとはお店でコーンポタージュを探してたんだけど、なくて
かぼちゃのポタージュなんだろうなと思って買ってみたんだけど。
鍋に入れて温めて飲んでみて ガッカリ
濃厚な感じを予想してたのに
水っぽいさらっとしたスープ、甘味も皆無。
やっぱり日本のポタージュスープはおいしかったなっと思ってしまう。

日本のような濃厚でとろっとした感じの、そういうスープは売ってないんだろうか???アメリカには。


この夕食後、私もジャスティンもお腹をくだしました。
私なんてかなり長時間の腹痛後、にダーっと。
ジャスティンは、このフィッシュスティックか、スープが原因じゃないかっていうんだけど・・・
子供たちは二人とも平気でした。

やっぱり手抜き料理はイカンてことだね。

今日は土曜日で(←言い訳っぽいけど)
ジャスティンがいると気がゆるむというか、なんかやる気がでないんだよね。
平日はちゃんと手作り料理を作ってます!

2014年7月20日日曜日

ジャスティンひざをこわす

シナモン ハニー
Cinnamon honey味のアーモンドがあったので買ってみた。

写真の後ろに写ってるのは松葉杖。
ジャスティンがひざの手術をしました。
日本に行ったときに、運動するために外で毎日のように全力疾走してたら、ひざをこわしたみたいです。
アメリカに帰る日から痛くなりだして、病院に行ったら
「もう若くないんだから、全力疾走するなら、準備運動をしてから」
と言われたそうです。
ごもっとも・・・

1か月以上も日本に行っていたのに、ジャスティンは仕事を休んでいません。日本で仕事をしていました。
日本から会議に参加したり、電話で話したり、緊急事態時の待機の当番?みたいなこともやったり。
仕事を休まずに海外に行けるからジャスティンの仕事は便利。
でも、何回きいてもいまいち何の仕事をしているかよくわかりません。IT関係ということだけは知っている。

日本に行ったときにタブレットを買いました。
今では、ララと賢造のゲームとして活躍している。
それに、なにげに私も少しゲームをしてたら、なんだかハマってしまって。。。
今までスマホのゲームを一つだけしてただけなんだけど、また好きなゲームが増えてしまって、、、
自己嫌悪になりつつある。



2014年7月12日土曜日

久しぶりの更新!できた!

久しぶりの更新・・・となるか?
少し前にも更新しようとしてたんだけど、邪魔が入ってしまい、途中でストップ。それから続きを書けず、数日たってしまったのでそのままボツに。

今回は更新できるといいな。。。

写真は賢造のズボンがあまりにもかわいいので。。。
日本に行ったときに西松屋で買ったもの。
おしりのところにくまさんが。かわいすぎ




少し前、9か月ぶりにヘアサロンへ行きました。
場所も変わっていて、美容師さんは今まで場所を借りてやっていたんだけど、家賃を毎年のように上げられて、ついに自分のヘアサロンをオープンしたんだそうです。
ヨット?船がたくさん見えるきれいな場所でした。
ララと賢造とジャスティンも退屈せず待たせてもらえるところで、帰りぎわには古い号の雑誌を持っていっていいというので遠慮せずにもらってきてしまいました。

同じ美容師さんに切ってもらうのでも、場所によって値段が変わるそうです。私は60ドルで切ってもらってるけど、これがサンフランシスコになるともうちょっと値段が上がるそう。
それは家賃が違うからだそうです。サンフランシスコは家賃が高い。

ジャスティンも最初に家さがしをするときに、最初にサンフランシスコのジャパンタウンで探したら家賃が安くても30万円くらいするところしかなく、断念となったそうです。
どんな金持ちがサンフランシスコに住めるんでしょう。とっても興味があります。

2014年6月26日木曜日

日本へ帰省の旅

帰ってきましたアメリカに。
日本への帰省はあっという間に終わってしまった感じ。
まだいたかったと名残惜しい気持ちでいっぱいでした。
1年ちょっとアメリカに住んでみて、やっぱり思ったことは、
日本の食べ物はおいしい
日本のケーキはおいしい
日本のお菓子はおいしい
とにかく食べ物がおいしいという感想でした。

なんといっても今回の帰省の理由は母の死
着いて早々、お線香でもあげようかと仏壇の前の座布団に座ったとたん、
あの、なんていうのかな?仏壇のちんちーんとならす棒
あの棒を賢造が持って、お線香をたてる入れ物につっこみ、灰をかきまわすという惨事が起き、 お線香をあげるのは中止に。
こどもたちがいたら、悲しみに浸る隙もありませんでした。

父も気を落としていたと思うのですが、
ララと賢造がきたら、そんなことも忘れてしまうんじゃないかという程
手をやいていたよう・・・
賢造は父のパソコンのほこり取りの棒を持ち出して、トイレの水の中につっこみ、かきまわし、さらにトイレットペーパーを全部水の中につこっむという、大暴走をしでかし、さすがの父も賢造を叱る始末。
久しぶりに聞く父の怒る声・・・なつかしい

そのとき私は食器洗いをしていて賢造の悪さに気が付かず・・・

いろいろあった
私は賢造にメガネを壊されたので、新しいメガネを買いに沼津へ。
ララと二人で行き、メガネができる待ち時間に
念願だったパフェを食べました。
嬉しい!
これがずっと食べたかった。
不二家のチョコレートパフェ
上にささってるスナック菓子のようなやつはララに食べられちゃったけど
まあ、満足した。
賢造は父のかりんとうが好きでよく食べていた。
1か月ちょっと日本にいたけど、2回も回転ずしに行った
三島のブルーベリーというお菓子屋さん
http://www.bbck.jp/
ここのブルーベリータルトが大好きで、買いに行ったら、
ジャスティンがここのお店が気に入って、
ポニョポニョというお菓子が大のお気に入りに
結局、3回も行きました。

あと、私が好きなのはマックスバリューのお惣菜
商品名は覚えてないんだけど、のりのついたおもちがふたつ串にささったやつ。

何を書こうかと思ったけど、やっぱり食べ物のことになってしまった。

2014年5月15日木曜日

母の癌と死

 まだ実感がわかないけど、母が亡くなりました。
来週、日本にかえります。
癌になってから3年くらいかな。
最初にきいたのは私の結婚式の次の日。
式が終わるまでは教えないでおこうと思ったらしい。
大腸癌。
1度手術をしたけど、リンパへの転移とかあって、2回目の手術をする予定だったけれど、それを手術の当日にキャンセルして、食事療法でなおす方法を選択した。
それから何事もなく今年の1月に帰省したときも元気で、毎日朝と、午後に散歩に2時間くらい歩いていた。
ほんとに普通にしていた。癌はもうとっくに治ったんだと思いこんでいた。
趣味のパッチワークで壁にかける大きなものを作成していたり、シフォンケーキを焼いてくれたり、とにかくほんとに元気にしていたのに、
4月の下旬に入院したという連絡があって、
そのときには肝臓と肺がもう癌に侵されていたとのこと。
そのときは何度か電話で話したけど、元気のなさそうな声で、
(お医者さんから余命半年と言われていたせいもあるのかな)
「まだ死なないから、さえこはまだ帰ってこなくていいよ。」
と言っていた。
父が5月10日に仕事を辞めて、母を退院させて、うちでつきっきりで看病する予定だったのに。
5月7日に、母の姉がきて母を予定より早く退院させることが可能になったので、7日にうちに帰ってきたらしい。

それがどうも様子がおかしいので再度病院に連れていって、そこから意識がない状態になって、5月10日の夜に亡くなりました。
こう、たんたんと書いているけど、私にはまだ母が亡くなったという実感がまったくありません。
父も昨日電話したとき、同じことを言っていました。
「うちに帰るとまだお母さんがふつうにいるような気がする」と。

だからまだ涙もでない。
来週月曜アメリカから日本に家族みんなで帰ります。
三島の実家についたら、実感わくのかな。

母の癌。
大腸癌が最初に発見されたのに、最後は大腸に癌はなくなっていて、肺と肝臓が癌に侵されていたなんて。こんなことってあるんだ、はじめてきいた。それにしても癌っておそろしい。
自ら発生して、自ら死においやる。
癌は遺伝するから私もいつか癌になると覚悟しているけど、
癌になったらそれは自分の死に時だと思って受け入れようと思う。

2014年5月4日日曜日

日本人的感覚

 昨日、ジャスティンがアムステルダムの出張から帰ってきました。
リクエストしていたお土産。
2回目のアムステルダムなんだけど、最初のとき、ただ「おみやげ」お願いと言っておいたら、
アムステルダムはチーズが有名なんだよ
と言って、たっかい高級なチーズの塊を買ってきた。
そんなの、ジャスティンがワインと一緒に食べておわり。
私はワイン飲まないし。
で、
こんどは、ちゃんと、
コンビニで売ってるチョコレートとかクッキー、アメリカにも日本にもないようなアムステルダムのだよ
と念押しして買ってきてもらった。私はチーズよりそっちの方が嬉しい。
で、最初の写真がおみやげ。

うちに帰ってきて
「16時からノア君のバースデーパーティーに行くよ」と。
え?そーなの?知らなかった。
ノア君はバネッサさん(ジャスティンの妹さん)の子供。ララと賢造のいとこ。
トランポリンがたっくさんある遊び場でのパーティーでした。
ケーキのデコレーションが派手。日本ではちょっとみられないデコレーションだったのでパシャリ!
バースデーパーティー、アメリカ人ってこんな風にするんだあ、と目の当りにできて感激。
それにしても、バネッサさんは、ララと賢造の誕生日にはプレゼントをたくさん くれたのに、ジャスティンはノア君にプレゼントは買う必要ないと言うので、こっちはたくさんもらってるのに、それはちょっとひどくない?と言うと、
じゃあアムステルダムのチョコレートあげて
というので、そうしました。
どうも、アメリカ人的感覚が、、、というか私がどっぷり日本人だからなのか、もらってるならお返ししないと、という感覚ある。

そして今日は、
なぜかプールに行くと言い出して、4人分の水着を買いに行き、
午後からプールに行きました。

ジャスティンの思い立ったらすぐ行動っていうのは感心する。

日本人的感覚といえば、
他人のうちの冷蔵庫は開けない
というのを小さいころから親に言われているし、常識だと思ってたんだけど、バネッサさんもノア君も、当然のようにうちの冷蔵庫をあける!
ことわりもなし!
アメリカはいいの?他人のうちの冷蔵庫あけて。
ジャスティンに聞くと「いいよ」と回答。
え?ほんとに?
ジャスティンのファミリーだけなんじゃないの?と今でもまだ疑っている。


2014年5月2日金曜日

ドラえもんがきっかけで

おくるみで人形を包んで、
「ララも賢造も生まれたとき、こうやってくるんでたんだよ」
てやってあげたら、ララはそれが気に入って、こうやって一緒に寝ている。

「写真とって」
とララが言うのでパシャパシャ何枚も撮った。
くるくる表情をかえて。

ララが毎日のようにみているドラえもん。
その中でドクロ島で宝探しをする話にでてきた
“いろはにほへと ちりぬるを わがよたれそ つねならむ”
という昔の歌がなんかひっかかって
続きはなかったかなあ?とか、意味ってなんだろう?とか、
気になって調べてみたら、すごい深くて、感動してしまった。
↓これをみて
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1110440496

日本にいる母が病気で余命いくばくもない状態でいるので、それと重ね合わさって、妙に心に響いてくる。
1月に帰省したときにはピンピンしてたのに、信じられない。
帰りたくても帰れないので、気持ちの準備だけはしておこうと思う。
海外に暮らすということはそういうことなのだから。


(↓これは引用)
「わがよたれぞ つねならむ (我が世誰ぞ常ならむ)
【意味】;私の人生も誰の人生も永遠でありえようか
どんな人生でも、いつかは変貌し、破壊され、消滅してしまう。
すべてがもともとこの世に存在しない一瞬の幻想なのだから、
愛と憎しみ、幸福と不幸、そんな対立など初めから実体がないことを悟って、対立を超越したとき、人は菩薩となり仏陀となって、自分のまわりを慈悲で満たし、心と世界が極楽になります。」

大乗仏教の悟りを表したのがいろは歌なんだそうです。
すごい、すごい。
私が35年間で、これまで経験したことは、
いつかは(私が死んだら)実体のないものとなる・・・わかるわかる、そのとおりだ!
愛と憎しみ、幸福と不幸、この対立を超越するのが難しいんだろうけど、
それができれば、周りを慈悲で満たすことができるなんて、スゴイスゴイ

悟りを開くとはこういうことなんだ。

と、いうことをドラえもんがきっかけで、私も勉強することができました。

ララと賢造が食べ物や飲み物をじゅうたんにこぼしたり、服を汚したりするだけで、「また、やりあがったー!もーっ!」と怒ってしまう、許容範囲の狭い私には、悟りを開くのなんて遠い遠い先のこと・・・。