2014年5月2日金曜日

ドラえもんがきっかけで

おくるみで人形を包んで、
「ララも賢造も生まれたとき、こうやってくるんでたんだよ」
てやってあげたら、ララはそれが気に入って、こうやって一緒に寝ている。

「写真とって」
とララが言うのでパシャパシャ何枚も撮った。
くるくる表情をかえて。

ララが毎日のようにみているドラえもん。
その中でドクロ島で宝探しをする話にでてきた
“いろはにほへと ちりぬるを わがよたれそ つねならむ”
という昔の歌がなんかひっかかって
続きはなかったかなあ?とか、意味ってなんだろう?とか、
気になって調べてみたら、すごい深くて、感動してしまった。
↓これをみて
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1110440496

日本にいる母が病気で余命いくばくもない状態でいるので、それと重ね合わさって、妙に心に響いてくる。
1月に帰省したときにはピンピンしてたのに、信じられない。
帰りたくても帰れないので、気持ちの準備だけはしておこうと思う。
海外に暮らすということはそういうことなのだから。


(↓これは引用)
「わがよたれぞ つねならむ (我が世誰ぞ常ならむ)
【意味】;私の人生も誰の人生も永遠でありえようか
どんな人生でも、いつかは変貌し、破壊され、消滅してしまう。
すべてがもともとこの世に存在しない一瞬の幻想なのだから、
愛と憎しみ、幸福と不幸、そんな対立など初めから実体がないことを悟って、対立を超越したとき、人は菩薩となり仏陀となって、自分のまわりを慈悲で満たし、心と世界が極楽になります。」

大乗仏教の悟りを表したのがいろは歌なんだそうです。
すごい、すごい。
私が35年間で、これまで経験したことは、
いつかは(私が死んだら)実体のないものとなる・・・わかるわかる、そのとおりだ!
愛と憎しみ、幸福と不幸、この対立を超越するのが難しいんだろうけど、
それができれば、周りを慈悲で満たすことができるなんて、スゴイスゴイ

悟りを開くとはこういうことなんだ。

と、いうことをドラえもんがきっかけで、私も勉強することができました。

ララと賢造が食べ物や飲み物をじゅうたんにこぼしたり、服を汚したりするだけで、「また、やりあがったー!もーっ!」と怒ってしまう、許容範囲の狭い私には、悟りを開くのなんて遠い遠い先のこと・・・。


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