2014年5月15日木曜日

母の癌と死

 まだ実感がわかないけど、母が亡くなりました。
来週、日本にかえります。
癌になってから3年くらいかな。
最初にきいたのは私の結婚式の次の日。
式が終わるまでは教えないでおこうと思ったらしい。
大腸癌。
1度手術をしたけど、リンパへの転移とかあって、2回目の手術をする予定だったけれど、それを手術の当日にキャンセルして、食事療法でなおす方法を選択した。
それから何事もなく今年の1月に帰省したときも元気で、毎日朝と、午後に散歩に2時間くらい歩いていた。
ほんとに普通にしていた。癌はもうとっくに治ったんだと思いこんでいた。
趣味のパッチワークで壁にかける大きなものを作成していたり、シフォンケーキを焼いてくれたり、とにかくほんとに元気にしていたのに、
4月の下旬に入院したという連絡があって、
そのときには肝臓と肺がもう癌に侵されていたとのこと。
そのときは何度か電話で話したけど、元気のなさそうな声で、
(お医者さんから余命半年と言われていたせいもあるのかな)
「まだ死なないから、さえこはまだ帰ってこなくていいよ。」
と言っていた。
父が5月10日に仕事を辞めて、母を退院させて、うちでつきっきりで看病する予定だったのに。
5月7日に、母の姉がきて母を予定より早く退院させることが可能になったので、7日にうちに帰ってきたらしい。

それがどうも様子がおかしいので再度病院に連れていって、そこから意識がない状態になって、5月10日の夜に亡くなりました。
こう、たんたんと書いているけど、私にはまだ母が亡くなったという実感がまったくありません。
父も昨日電話したとき、同じことを言っていました。
「うちに帰るとまだお母さんがふつうにいるような気がする」と。

だからまだ涙もでない。
来週月曜アメリカから日本に家族みんなで帰ります。
三島の実家についたら、実感わくのかな。

母の癌。
大腸癌が最初に発見されたのに、最後は大腸に癌はなくなっていて、肺と肝臓が癌に侵されていたなんて。こんなことってあるんだ、はじめてきいた。それにしても癌っておそろしい。
自ら発生して、自ら死においやる。
癌は遺伝するから私もいつか癌になると覚悟しているけど、
癌になったらそれは自分の死に時だと思って受け入れようと思う。

2014年5月4日日曜日

日本人的感覚

 昨日、ジャスティンがアムステルダムの出張から帰ってきました。
リクエストしていたお土産。
2回目のアムステルダムなんだけど、最初のとき、ただ「おみやげ」お願いと言っておいたら、
アムステルダムはチーズが有名なんだよ
と言って、たっかい高級なチーズの塊を買ってきた。
そんなの、ジャスティンがワインと一緒に食べておわり。
私はワイン飲まないし。
で、
こんどは、ちゃんと、
コンビニで売ってるチョコレートとかクッキー、アメリカにも日本にもないようなアムステルダムのだよ
と念押しして買ってきてもらった。私はチーズよりそっちの方が嬉しい。
で、最初の写真がおみやげ。

うちに帰ってきて
「16時からノア君のバースデーパーティーに行くよ」と。
え?そーなの?知らなかった。
ノア君はバネッサさん(ジャスティンの妹さん)の子供。ララと賢造のいとこ。
トランポリンがたっくさんある遊び場でのパーティーでした。
ケーキのデコレーションが派手。日本ではちょっとみられないデコレーションだったのでパシャリ!
バースデーパーティー、アメリカ人ってこんな風にするんだあ、と目の当りにできて感激。
それにしても、バネッサさんは、ララと賢造の誕生日にはプレゼントをたくさん くれたのに、ジャスティンはノア君にプレゼントは買う必要ないと言うので、こっちはたくさんもらってるのに、それはちょっとひどくない?と言うと、
じゃあアムステルダムのチョコレートあげて
というので、そうしました。
どうも、アメリカ人的感覚が、、、というか私がどっぷり日本人だからなのか、もらってるならお返ししないと、という感覚ある。

そして今日は、
なぜかプールに行くと言い出して、4人分の水着を買いに行き、
午後からプールに行きました。

ジャスティンの思い立ったらすぐ行動っていうのは感心する。

日本人的感覚といえば、
他人のうちの冷蔵庫は開けない
というのを小さいころから親に言われているし、常識だと思ってたんだけど、バネッサさんもノア君も、当然のようにうちの冷蔵庫をあける!
ことわりもなし!
アメリカはいいの?他人のうちの冷蔵庫あけて。
ジャスティンに聞くと「いいよ」と回答。
え?ほんとに?
ジャスティンのファミリーだけなんじゃないの?と今でもまだ疑っている。


2014年5月2日金曜日

ドラえもんがきっかけで

おくるみで人形を包んで、
「ララも賢造も生まれたとき、こうやってくるんでたんだよ」
てやってあげたら、ララはそれが気に入って、こうやって一緒に寝ている。

「写真とって」
とララが言うのでパシャパシャ何枚も撮った。
くるくる表情をかえて。

ララが毎日のようにみているドラえもん。
その中でドクロ島で宝探しをする話にでてきた
“いろはにほへと ちりぬるを わがよたれそ つねならむ”
という昔の歌がなんかひっかかって
続きはなかったかなあ?とか、意味ってなんだろう?とか、
気になって調べてみたら、すごい深くて、感動してしまった。
↓これをみて
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1110440496

日本にいる母が病気で余命いくばくもない状態でいるので、それと重ね合わさって、妙に心に響いてくる。
1月に帰省したときにはピンピンしてたのに、信じられない。
帰りたくても帰れないので、気持ちの準備だけはしておこうと思う。
海外に暮らすということはそういうことなのだから。


(↓これは引用)
「わがよたれぞ つねならむ (我が世誰ぞ常ならむ)
【意味】;私の人生も誰の人生も永遠でありえようか
どんな人生でも、いつかは変貌し、破壊され、消滅してしまう。
すべてがもともとこの世に存在しない一瞬の幻想なのだから、
愛と憎しみ、幸福と不幸、そんな対立など初めから実体がないことを悟って、対立を超越したとき、人は菩薩となり仏陀となって、自分のまわりを慈悲で満たし、心と世界が極楽になります。」

大乗仏教の悟りを表したのがいろは歌なんだそうです。
すごい、すごい。
私が35年間で、これまで経験したことは、
いつかは(私が死んだら)実体のないものとなる・・・わかるわかる、そのとおりだ!
愛と憎しみ、幸福と不幸、この対立を超越するのが難しいんだろうけど、
それができれば、周りを慈悲で満たすことができるなんて、スゴイスゴイ

悟りを開くとはこういうことなんだ。

と、いうことをドラえもんがきっかけで、私も勉強することができました。

ララと賢造が食べ物や飲み物をじゅうたんにこぼしたり、服を汚したりするだけで、「また、やりあがったー!もーっ!」と怒ってしまう、許容範囲の狭い私には、悟りを開くのなんて遠い遠い先のこと・・・。