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2018年11月24日土曜日

40才で3人目の出産 アメリカで初めての無痛分娩を体験

2018年11月22日Thanksgivingの日に3人目を出産しました。
その記録を忘れないうちに書いておこうと思います。
写真は妊娠24週のとき、34週のとき、38週のときに
自分のお腹の大きさを撮ったものです。出産は40週と1日でした。
みんなからよく「小さい」と言われたお腹ですが、
実際に生まれた赤ちゃんは2570グラムでした。
3人目ですが、アメリカでの出産は初めてで、
無痛分娩を経験したのも初めて。
そのあたりのことを詳しく書こうと思います。
無痛分娩だったので一番辛かったのは陣痛でした。
その陣痛が始まったのは11月21日の夜9時前くらいから。
その時点では20分間隔くらい。
陣痛だと気が付く前は、おしりが痛いときがあると感じ始めていました。
夜9時くらいに始まった陣痛のせいで、全然眠れず。
記録しておいた陣痛の間隔では
夜9時台には5回、10時台には5回、11時台には6回、

0時台には7回、
その位のとき、夫が病院に電話をします。
すると「5分間隔になったら来てください」と言われます。
間隔はまばらでした。
1時台には6回、2時台には5回。
その時最後の間隔が5分、4分となったうえ、少量ですが出血しました。出血があったことを病院に連絡して、病院に向かいました。
ところが、病院では陣痛の間隔が遠のいてしまったうえに、
子宮口はまだ4センチだと言われます。
陣痛も病院内では20分とか25分とか、間隔があいてしまいます。
お医者さんから「ここで2時間待って、子宮口がもっと開いたらこのまま入院、まだ進行が遅いようならお家に帰ってください」と言われます。
結局朝5時半頃、家に帰る羽目に。。。
夫と子供たちは夜中の2時過ぎに起こされたので
このあとみんな爆睡します。
私も眠かったので寝たかったのですが、
朝6時台には4回、7時台には4回と陣痛がくるたびに目が覚めてしまいます。8時台には4回、9時台には5回。
10時台4回、11時台5回、12時台4回、午後1時台4回。
というようになかなか5分間隔にならないまま。
夫は私が出産のとき子供たちと病院に行くつもりだったのですが、それは難しいと判断して、
朝には夫のお父さんが、午後には夫の妹がうちに来ます。
寝袋を準備して、その日うちに泊まる準備をして来ました。
私はなかなか狭まらない陣痛間隔だったので、今日中に出産できるかどうかわからないのに、夫の家族たちがうちに来てしまったので、早く5分間隔の陣痛がこなくてはとプレッシャーを感じ始めます。
 その後、午後2時台6回、3時台7回、4時台7回となってきます。
その日11月22日木曜日はサンクスギビング。
夫の妹が家に来て料理をしてくれることになりました。
夫も自分の料理の腕前を見せてあげると言い、買い物にでかけて食材を買ってきました。私がベッドルームにこもって陣痛に苦しむ中、リビングでは子供たちがいとこたちとグランパと遊び、キッチンでは夫の妹と夫が料理をしていました。
陣痛はその後午後5時台には8回と最多に増えました。
夫が作ったクリームパスタとステーキ、夫の妹が作ったエビの料理を食べたところで陣痛間隔は今までにない4分間隔だったり、3分間隔、2分間隔というのが来ました。
そこで夫が病院に電話をして病院に向かいました。
私はまた陣痛間隔が遠のいてしまうことが心配だったのですが、
その日のうちに病院に向かえると思うと嬉しかった一方、
陣痛の痛さが今までにないくらい最強の痛みに変わっていました。痛さが絶頂に達していました。
無事、病院では入院が認められました。
子宮口は6センチと言われ、夜中に病院に行ったときからたったの2センチしか開いてないんだと少しがっかりします。
夫には病院に行ったらすぐepidural (無痛分娩の麻酔)をしてくれるようにお願いしてと言っていました。
ところが、それよりも先に、まずはリラックスするための点滴をつけられ頭が少しボーっとします。さらに少しだけ痛さが和らぐという点滴も追加されたのですが、肝心のepiduralは「もしかしたらそれをするよりに先にお産の進行が進んでしまったら間に合わないかも」なんて言われます。
でもそうこうしているうちにepiduralをしてくれる人が到着。
epiduralのリスクの説明をされた後でようやく背骨のあたりにチクっとする注射の感覚が‼
そこから以降は夢のような信じられない状態に!
陣痛の痛さが無くなり、さらに下半身の感覚がなくなります。
あの痛い子宮口の大きさをチェックするグリグリの診察ですらまったく痛くありません。あの恐怖の診察が痛くないことに感動!
子宮口は7センチまで開き「あと2時間待ちましょう」と言われます。その間は眠さでウトウトしてたのでひたすら目を閉じて2時間経つのを待ちました。その間にピーナツボールというボールを足の間に挟まれますが、まったく足の感覚がないためになんとも感じません。
2時間たった夜11時頃、二人のナースが私の子宮口をチェックして「10センチまで開いた」と判断します。その時点で夜11時くらいになっていました。
そこからはいきみの練習を1回して、5回目のいきみで赤ちゃんが誕生しました。
上二人の自然分娩のときは、もうその時点ではすさまじい痛さに耐えていたので赤ちゃんを見る余裕はなかったのですが、今回は違い落ち着いて冷静になって自分の中から出てくる赤ちゃんを観察することができました。
産まれたての赤ちゃんは思ったほど血はついていなくて
タオルでさっと拭き取るだけで私の胸に抱かせてくれました。
下半身の麻酔epiduralのすごさを体感できました。その後もどこも痛くなく、麻酔がきれてからも体調は良好で、次の日退院しました。
病院の朝ごはんと昼ご飯の写真も載せました。無痛分娩を体験してしまうと、もう自然分娩に戻ろうとは思わないはずです。すごく楽な出産に感動しました。

過去二人の日本での自然分娩の記録です↓
長女2010年10月「壮絶な出産体験」
長男2012年8月の「二人目の出産を振り返って1~8」


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2012年8月24日金曜日

二人目の出産を振り返って8

眠れない場合は睡眠導入剤を処方してくれる。 夜12時過ぎても寝られなかったので睡眠導入剤をもらうことにした。 初めての睡眠導入剤だ。飲んでから少したってから漸く眠りについた。 入院生活は快適だ。妊娠してからずっと、ここでの入院生活を心待ちにしていた。 個室で食事は毎回豪華、15時にデザートを運んで来てくれる。 この病院の食事が美味しいから二人目もここにした、と話す人もいた。 食事のときは、食堂でみんなと一緒に食べるのでいろんな情報交換ができる。 前に書いた内容だけど、出産は月の満ち欠けが影響するから、重なるらしいとか。 「少子化なんて嘘みたいにポコポコ毎日産まれてるよね。」 と。確かに、私が産んだ日も、私で3人目だった。 助産院では自分の胎盤を食べるらしいとか。 お刺身みたいに生で食べて、しかも家族全員で食べるんだとか。 ヒエェ~!ちょっと信じられない! ここの先生は70歳を過ぎてるとか。 天国と地獄を見る場所だと思う、産院は。 重たいお腹を抱えて陣痛に苦しみ悶える、かわいい赤ちゃんに授乳して美味しい食事を食べて寝るだけの極楽生活。 極楽生活もあっという間に終わり、9日に退院しました。 出産の記憶を忘れないように書き留めておくことにしました。

2012年8月22日水曜日

二人目の出産を振り返って7

8月4日、16時9分、2288グラム 元気な泣き声が聞こえてくる。 「すごい元気ー!」とみんなが口々に言っている。 体重は少ないけど、産まれてくる週数が大事らしく、問題ないと分かる。 40週と6日だ。 胎盤が出て、傷口を縫われ、肩に筋肉注射をされ、薬を飲まされる。 胎盤とへその緒を見せられる。 胎盤がでるのと、傷口を縫われるのは、ララのときは痛かったけれど、がまんできる痛さだったのが、 今回は出産と同じくらいどちらも痛くて、一難去ってまた一難だった。 しまいには、「~チェックさせてくださいね」と看護師さんがくると、 「それって痛いですか?」と聞いてしまう。 とにかく後処理が想像を越える痛さで、分娩室で2時間休んでも下半身に力が入らず、 自分の病室に帰るのも車椅子で運んでもらった。 病室に到着すると、看護師さんに支えられながらトイレに向かう。お小水がちゃんと出るかどうかを確認しないといけないらしい。 用をたして、ウォシュレットで洗って、トイレットペーパーで拭いて、ウェットコットンで消毒。 動作一つ一つを看護師さんに指導されながらやっていく。 普段なら絶対に他人に見せない動作をやっているので、ひどく奇妙な感じだった。 ベッドにうつ伏せに寝ると、これで終わった~! 達成感を味わう。 体は相当な疲労感で満ちているのに、精神は若干の興奮状態だった。

二人目の出産を振り返って6

子宮口が9センチ開いてることを告げられる。時々、口が渇くからと冷たい水を飲ませてくれる。 陣痛のときは、痛さに耐えられず、身をよじらせて怒られることを繰り返していた。 痛くても目を閉じちゃいけない 手は頭の下に と、指示されると、腰の位置を更に下にずらされて体勢が変わると 「次の陣痛でヒヒフーで息止めて踏ん張るよ」 と言われ、ララの出産の記憶がフラッシュバックした。 ああ、そうだ、この感じだ! 思い出す!ヒッヒッフー!!!と踏ん張りながら 確かにこれって、排泄するときの感覚に似てるな、と一瞬思う。 だけど出てくる穴がまったく違うので全然違うと思い直す。 力の限り踏ん張った! 「フランクスさん、いきむのすごい上手、上手!」 と、初めて誉められる。 次のいきみで、頭が出たことを告げられ、 やった!これでおしまいか?と思ったら違ってまたいきみの指示がきた。 フーッッッ! 「見て、見て、赤ちゃん見て!」 と言われ、出てくる赤ちゃんをしっかり見届ける。 ララのときは同じように見て、見て、と言われても、余裕がなく見るので精一杯だったけど、今回は余裕を持って見ることができた。血まみれの小さな裸の目をつぶった顔の赤ちゃんだった。 出てきてすぐの赤ちゃんの手をにぎらせてくれる。地獄の苦しさの中にいたのに笑みがこぼれる。

2012年8月21日火曜日

二人目の出産を振り返って5

診察するお医者さんの表情が「おやっ」という感じになり、 「あ、もう5センチ開いてるから、分娩室の準備するから、そしたらお産にしましょう。」 と、言い、横にいる助産婦さんにも指示を出した。 わあ、ついに分娩室だあ、と気持ちが明るくなる。 意外に早い出産になるかもと、期待に胸が踊る。 分娩室で待ち受けていたのは、ララの出産のときの、忘れていた凄まじい記憶の再生だった。 まず毛の処理、お小水を取られ、陣痛促進剤をセットされる。 たちまち、恐怖の記憶が蘇り、足がガタガタ震え出してしまう。 「足をちゃんと開かないと震えちゃうよ!」 と叱られる。思わず、 「すごい恐い」 と、横にいる看護師さんに不安をもらしてしまう。 私の不安を取り除くためなのかどうかわからないけど、やたらと、助産婦さんたちが明らかに この状況とは関係のない雑談を繰り広げていたのが気になってしまった。 飲み会やパーティーの話を楽しそうに話している。 私の陣痛がくるたびに、話を中断して 「腰を上げない!お尻をつけて!」 「足は開いて、痛いからって閉じちゃダメ!」 「そんなに痛がってたら赤ちゃん苦しくて出て来られないよ!」 と罵声が飛んでくる。

二人目の出産を振り返って4

それなりに強い陣痛がきていることから、陣痛促進剤は 分娩室に入ってから使うことになった。 15時になってデザートが運ばれてきた。小さな器に入ったムースだ。 ベッドの脇で、それを立って食べる。スプーンですくって一口ずつ味わいながら食べる。 その間にも容赦なく陣痛は襲ってくる。 食べ終わると急に、こんどは睡魔が襲ってきた。 深夜0時過ぎに破水して以来、まだ一睡もしていない。 ベッドに少し横たわってみる。 やはり陣痛がくると、横たわっていられなくなる。 寝るのは断念して、また廊下にでた。 居合わせた助産婦さんから 「スタスタ歩いた方がいいよ。」 とアドバイスをいただく。 しばらくして、 「先生の診察があるから中に戻ってきてもらっていいかな」 と声をかけられる。 助産婦さんの診察のときの痛さで、すっかり診察恐怖症になってしまっていた。 極度に痛がる私にお医者さんは 「フランクスさん、僕の指見て、たったのこれだけ、指二本分だよ、赤ちゃんの頭に 比べたらどってことないよ。」 と、慰められてしまう。でも確かにその時の診察は助産婦さんの診察に比べて痛くなかった。

2012年8月20日月曜日

二人目の出産を振り返って3

昼近くに助産婦さんがやってきて、 「破水して長時間たっちゃうと赤ちゃんが危険になっちゃうから、 午後から陣痛促進剤を使いますね。」 と言う。 それだけは避けたかった。ララのときの悪夢が蘇る。 これはなんとしても自然な良い陣痛を起こさねば。 昼ご飯を食べ終わるとすぐ、歩き始めた。 陣痛がくると手すりに両手でしがみつくようにして、 前屈みになって、フーフーフーと息を吐いて痛みの山をやり過ごした。 廊下を3往復するごとにかなり強い陣痛が一回来るようになった。 廊下では出産を終えた人、見舞いにくる人達、清掃のスタッフ等 様々な人々が行き交う。 特に出産を終えた患者さんたちは、とても眩しく見えた。 いいなあ、私も早くそっちサイドに行きたい。 強く思うほど陣痛がくるのが待ち遠しくなった。 フーフーフーと息を吐きながら、赤ちゃんが下りてくるイメージをした。 助産婦さんから 「明るいうちに産みましょうね」 と声をかけられる。 できればそうしたい。 (後日に続く…)

2012年8月19日日曜日

二人目の出産を振り返って2

隣の患者さんはカーテンで仕切られているものの、会話から、 初産婦さんだとわかるし、それは陣痛のうめき声からも察することができる。 私は、ララのときの経験から、陣痛の痛みの山は立ってやり過ごすと決めていた。 午前中は20分~30分おきにしか陣痛がこない。 これは長期戦になるなあ、と覚悟をきめる。 ベッドに横になるより立っていようと、廊下を歩くことにした。 隣の患者さんは早朝に早々に分娩室に入っていき、 隣にはまた違う患者さんがきた。 どうも出産は重なると、後になって聞く。月の満ち欠けに関係しているかららしい。 母子手帳を家に忘れてきてしまい、 午前中に母に届けてもらう。 母と一緒にきたララは、 「だっこ」と言って甘えてきたが、すぐに 「かえる」と言って、とてもあっさりと帰っていく。 ぐずられるよりましだけど、ちょっと寂しい。 (また後日に続く…)

二人目の出産を振り返って

久しぶりの投稿。 無事、二人目の出産を終えました。 今回の出産を振り返ってみて… 8月4日深夜0時過ぎに目が覚めて、ララの寝相が悪いので 体の向きを直してあげようとしたところ、ララは寝ているにも関わらず それを拒否。 ま、いいっか、そこで寝てなさい、 と、ララの額を撫でると、うっすらと汗をかいていたので エアコンをリモコンでつけて、 再び寝ようと横になったところで破水! 病院に電話して入院。 病院に到着するとちょうど分娩中で待たされる。 すぐに、分娩室に立ち会いのご主人が呼ばれ、 赤ちゃんの泣き声が聞こえてくる。 しばらくして、ようやく陣痛室で診察。 その時点ではまだ陣痛らしい陣痛はこない。 ただ羊水が出てきてナプキンを頻繁に変えなければならない。 診察を終えると、隣のベッドに新しい患者がくる。 私よりも陣痛が頻繁にきているらしく苦し気なうめき声をあげている。 (続きは後日…)

2010年10月26日火曜日

壮絶な出産体験
















やっと赤ちゃんが産まれました。
予定日を過ぎても陣痛がこなくて、陣痛がこないまま入院。
陣痛促進剤を点滴しながら陣痛がスタートしました。
1日目:陣痛促進剤とバルーンを併用
夕方頃に子宮口が3センチ開く
進みが遅いので夕方で促進剤を止めて明日からの再開を待つことに
夜中も不規則な間隔で陣痛がきて一睡もできない
2日目:陣痛促進剤の点滴を再開
5分間隔くらいで陣痛が襲ってくる
陣痛の痛い波の乗り越え方がわからずうめき声をあげて、助産師さんから呼吸法のアドバイスをもらう。呼吸法のコツをつかんでくる。
夕方、子宮口は5センチまで開く
3日目:点滴再開
午前中から何度も助産師さんが子宮口をグリグリチェックされ「刺激を与えるといいかもしれない」と言われ、7センチまで開いたところで分娩室へ移動
そこからはすさまじい体験でした。
えー、そんなことするのー!という驚きの連続。

「今日は私たちのメモリーになる」
「痛いことは友達ですよ、がんばって」
と、毎日病院に来て、陣痛で苦しむ私を励ましてくれた夫は、生まれる瞬間もずっと手をにぎって立ち会ってくれました。

生まれてからは赤ちゃんにメロメロ状態でちょっとー!!!って感じだけど、進んで世話をしてくれるので助かります。

2010年9月29日水曜日

出産予定日

今日は出産予定日ですが、なんの予兆もありません。
陣痛は今か今かと2週間前から待ち構えているのですが、全然きません。
ふぅ~っ。
早くぅ。
でもまぁ気長に待つしかありません。